こんにちは、愛知県岡崎市の貸スタジオ・ダンス練習場のスタジオピネです。
私の宝物
縦11cm、横6.5cm、幅3cm、1934年(昭和9年)10月発行の赤い小さな「国語辞典」が私の宝物です。
父の思い出
1910年(明治43年)生まれの父は、奥飛騨農家12人の同胞の長男として生まれました。
当時の写真を見ると、テレビドラマ「おしん」の生家に負けず劣らず貧しい家庭そのものです。
もちろん上の学校へは行けず、電気工事の手伝いをしながら、一念発起、警察官になりました。
戦地の中国から復員後、駐在さんとして定年まで勤め上げ、また一家の長として、96歳の天寿を全うするまで、かくしゃくとしておりました。
居合道の達人であり、剣道の師範として子供たちの指導の傍ら、マージャン、囲碁、将棋、民謡、踊り、三味線や尺八までこなし、頑固な中にもユーモアにあふれた、若い人からも好かれる粋なじいさん。
また作るトマトは本当に絶品。
もちろん達筆で、よく長い手紙が届きました。
達筆なあまり読めない箇所もあり、必ず最後に「もっと字をきれいに書くように」と添えてありました。
何より、知らない字はありませんでした。
あまり返事を書かなかったことが、今では申し訳なく、悔いています。
国語辞典が叱咤激励
戦後の恵まれた時代に育ち、あふれんばかりの情報に埋もれているものの、特急並みの時代の変化についていこうとすると大変です。
覚えきれない、わからないと四苦八苦してめげそうになっている娘に、今でも「何を甘えているんだ。いつだって勉強だぞ」と、古ぼけた父の形見の辞典は、机の本立てに君臨し、叱咤激励してくれるのです。
(2019/09/27、毎日新聞「今週のテーマ「宝物・下」に掲載されました)