”シヲ”
それは、遊びに来た母が我が家の調味料の器に書き残したカナ文字です。
※写真はイメージです
晩年の母には、定時になるとご飯を炊き続ける行動が現れました。
残っていても炊き上がっていても米を隠したら、電話でお店に配達を頼み、届いてびっくりしたと義姉が苦笑していました。
何も食べていないと言い張ったり、他の人の分をとって食べたりする人のことはよく聞きますが、母は何故?と姉と話し合ったことがあります。
それは両親と子供十人の大家族の長男に嫁ぎ、出征した父の留守中、そして私達六人家族となっても、いつも家族のことを考え、家族のために食事を作り続けた母の人生のそのものではないかと。
私は高校卒業後、神学のため家を離れてからゆっくり母と暮らすことがありませんでした。
ですから、母の様に優しくてか細いこのカナ文字を見ていると、悲しいとき、辛いとき、嬉しいとき、一緒に台所に立っている気持になり、心の中で語りかけていた様に思います。
大切に大切にしていた文字ですが、九十四歳で逝ってから十年、とうとう消えてしまいました。
「ぜんまいの煮つけも木耳の白和えも、まだまだお母ちゃんの様に出来ないのに」そっとシヲの文字の名残を拭いて、
「有難う。これからも見守ってね。また逢えたらゆっくり教えてね」とつぶやきました。